📑 目次
はじめに
てんかんは人口の約1%が罹患するありふれた慢性疾患であり、乳幼児から高齢者まで幅広い年齢層で発症する[1][2]。適切な内科的・外科的治療により7〜8割の患者では発作が抑制されるが[2]、小児期に発症した場合、半数ほどは成人期になっても治療が必要とされる[3]。このため小児科から成人科への切れ目ない移行が重要になる。
この専門医不足により、発作のコントロールが不十分なまま運転して事故を起こす、自分の判断で抗てんかん薬を中止して妊娠中に発作を再発させるなど、適切な指導が行き届かない例が見られる[5]。国立精神・神経医療研究センターの「てんかん地域診療連携体制整備事業」でも、小児期から成人期、さらには高齢期まで切れ目なく診療を連携する"移行期医療"を重視している[6]。
トランジション(移行期医療)とは何か
国際的には、トランジションは単なる"転科"ではなく、患者が小児向け医療から成人向け医療へ円滑に移るための計画的・継続的・包括的なプロセスと定義される[3]。UCBCaresの解説では、小児期発症の慢性疾患を持つ患者が「適切で必要な医療を切れ目なく提供」され、その人らしい生活を送ることを目的とした患者中心のプロセスと述べている[3]。
国立成育医療研究センターの成人移行支援ガイドでも、成人患者が小児科に通い続けることはヘルスリテラシーの育成を妨げ、成人病への対応が不十分になると警鐘を鳴らしている[8]。
小児科と成人科の違い
小児科では保護者が診療の主体となり、てんかん以外の症状も含め全身管理を行う。一方、成人診療科では患者本人が医師と相談して治療方針を決めるため、本人の意思決定能力が重要になる[7]。成人では脂質異常症や高血圧、がんなど新たな疾患の出現があり、成人科での総合的な評価が不可欠である[9]。また医療保険や医療費助成制度も18歳を境に変わり、自立支援医療制度や指定難病医療費助成制度への申請が必要となる[10]。
| 項目 | 小児科 | 成人診療科 |
|---|---|---|
| 診療の主体 | 保護者が中心 | 患者本人が中心 |
| 診療範囲 | 全身管理(てんかん以外も含む) | 専門分野別に分担 |
| 対応疾患 | 小児特有の疾患 | 成人病(高血圧、脂質異常症、がん等) |
| 医療費助成 | 小児慢性特定疾病医療費助成 | 自立支援医療制度、指定難病医療費助成 |
日本における移行期医療の現状と課題
保護者アンケートから見えるギャップ
大阪小児科医会が行ったアンケート(12〜18歳のてんかん患者を持つ保護者79例が回答)では、59%の保護者が将来も小児科での診療継続を希望し、73%が成人科への転科に不安を感じていた[10]。不安の理由として「引き継ぎがきちんとされるのか心配」が挙がっている[10]。
医師不足と地域連携
日本てんかん学会の専門医の半数以上が小児科医であり、成人期のてんかん患者を担当できる専門医は限られる[4]。国の事業では、乳幼児期から高齢期までの診療を地域で連携する仕組みや、てんかん診療支援コーディネーターの養成を進めている[12]。成人科と高齢期医療との連携や遠隔医療、支援ネットワークの構築も課題として挙げられている[12]。
移行のパターンと計画の立て方
クリニジェン株式会社の解説では、成人診療科への移行には次の3パターンがある[13]:
| パターン | 特徴 |
|---|---|
| ①徐々に移行し成人科のみで通院 | 発作が安定している場合に推奨。年齢の上昇に伴い成人診療科へ完全に移る[14]。 |
| ②小児科と成人科を併診 | 近隣にてんかん専門医がいない場合などに、小児科でてんかん治療を続けながら他の一般診療を成人科で受ける[15]。 |
| ③小児科を継続 | 複雑な先天性心疾患や難治てんかんなどでは、成人後も小児科が主治医を続ける[16]。ただし成人特有の病気への対応が難しくなり、成人科との連携が必要となる。 |
患者の年齢や病状、地域の医療資源を考慮し、数年かけて準備することが推奨される[17]。特に中学生頃から家族と本人が将来の診療科を意識し始め、情報収集や心の準備を行うことが望ましい[18]。移行のタイミングは18〜22歳頃が目安だが、発作の状態や進学・就職など生活の区切りも考慮して柔軟に決める[19]。
国際的な視点 – トランジションは「計画と自立のプロセス」
国際抗てんかん連盟(ILAE)は、トランジションを「単なる転科ではなく、数年間にわたる計画と対話を通じて自立を促すプロセス」と強調する[20]。海外の研究では、17歳の患者の多くが移行について小児科医と話し合った経験がなく、わずか1人しか新しい成人神経内科医の名前を挙げられなかったという結果が報告されている[21]。
大人の医療システムは複数の専門診療科に分かれており、患者が自ら予約や服薬管理を行う必要がある。小児では一つのチームが総合的にケアを提供することが多いが、成人では医師の分担が明確で複数の診療科を回る必要があり、適切な移行がないと患者が混乱する[22]。ILAEの専門家は「移行期医療は、患者が診察の場で能動的に意見を述べられるよう支援するプロセス」であり、正しい診断名や薬剤名を理解し医療者とコミュニケーションできるようにすることが重要だと述べている[23]。
移行の開始時期と準備
Child Neurology Foundationは、小児神経科医が12歳頃から毎年移行の話題を取り上げ、成人まで継続的に支援することを推奨している[24]。しかし、2024年の調査では16歳になって初めて移行について話し合う例が多く、18歳未満で移行について話をした患者は28%にとどまった[25]。
一方、成人側の医療者の教育も不足しており、ラテンアメリカや米国の調査では神経科医・小児科医の研修が不十分で、自ら移行プログラムを作るのが難しいと感じる医師が大半であった[26]。
一方で、成人神経内科医は妊娠時の薬物管理や骨・脂質代謝の影響など成人特有の問題に詳しく、適切な専門医への引き継ぎが治療成績の向上につながる[28]。
年齢別にみる移行支援の具体例
アメリカてんかん学会(AES)が2023年に改訂した「Transitions from Pediatric Epilepsy to Adult Epilepsy Care」では、発達障害のない思春期患者の移行支援を年齢段階ごとに整理している[29]。
このような段階的な支援により、患者は小児期から自分の病気について学び、成人になる頃には自己管理能力を高められる。日本においても年齢や成熟度に応じた支援が求められる。
移行期医療を支える仕組みと評価ツール
多職種チームとトランジション外来
UCBCaresによると、トランジション外来では看護師を中心とした多職種チームが患者主体の移行支援と診療連携を行っている[39]。移行支援にはヘルスリテラシーの向上やメンタルヘルスの維持が含まれ、患者が自分の病気や治療を理解し自ら説明できるようにすることが重要とされる[40]。成人科への移行時には、患者や家族が孤立しないよう地域の医療機関全体で支援する仕組みが必要である[39]。
TRAQなどの評価ツール
移行準備状況評価アンケート(TRAQ)は、若年患者が医療への移行にどれだけ準備ができているかを測定する自記式質問紙である。UCBCaresは、成人移行支援においてTRAQ日本語版などを活用し、患者の理解度を客観的に把握しながら無理なく移行を進める方法を紹介している[41]。他にも日本小児科学会が作成した移行期医療ガイドや大阪府の移行期医療マニュアルなど、疾患横断的に用いることができるガイドラインが整備されつつある。
まとめと展望
てんかんの移行期医療は、小児期に発症した患者が成人期に自立した生活を送るための重要なプロセスである。国際的な調査では、多くの若者が移行期医療について十分な指導を受けておらず[21]、成人てんかん専門医の不足も課題として挙げられている[4]。日本では保護者の約6割が小児科での診療継続を望む一方、成人科への引き継ぎに不安を抱えている[10]。
1. 早期からの計画:12〜13歳頃から移行を意識し、数年間かけて準備する[24]。
2. 段階的な支援:年齢に応じて診療サマリー作成、医師の紹介、独立した診察への参加など段階的に実施する[42]。
3. 多職種による包括的支援:看護師、ソーシャルワーカーなどが関与し、患者のヘルスリテラシーとメンタルヘルスを支える[43]。
4. 評価ツールの活用:TRAQなどを用いて準備状況を評価し、個別の課題に応じてサポートする[41]。
5. 成人科との連携強化:成人神経内科医が妊娠管理や生活習慣病、成人特有の合併症に対応できるよう情報共有を行う[28]。
移行期医療は患者の自立と生涯にわたる健康を支えるための投資であり、小児科・成人科双方が協力して取り組むべき課題である。今後は医療者教育の充実と支援ネットワークの整備により、すべてのてんかん患者が安心して成人期を迎えられる社会を目指したい。
