
梅毒トレポネーマ(Treponema pallidum)はペニシリン療法の普及で一時は激減しましたが、1990年代以降に世界的再流行が報告されています。近年は男性同性間性交渉(MSM)を中心に梅毒症例が増加し、それに伴い神経梅毒の症例も増えつつあります[1][2]。
神経梅毒(Neurosyphilis)総説:疫学から治療・フォローアップまで
疫学(HIVとの関連を含む)
梅毒トレポネーマ(Treponema pallidum)はペニシリン療法の普及で一時は激減しましたが、1990年代以降に世界的再流行が報告されています。近年は男性同性間性交渉(MSM)を中心に梅毒症例が増加し、それに伴い神経梅毒の症例も増えつつあります[1][2]。日本でも2010年代から梅毒報告数が急増し、2022年には年間1万3千例以上と過去半世紀で最多水準に達しました[3][4]。梅毒患者の約8割は男性で、その多くがMSMでしたが、近年は異性間感染の増加も顕著です[4]。
特にHIV共感染は神経梅毒のリスク因子であり、HIV感染者では梅毒感染初期から無症候性神経梅毒へ移行しうるため、HIV陽性者で梅毒血清反応陽性の場合は常に神経梅毒を念頭に置く必要があります[6]。実際、報告される神経梅毒症例の大部分はHIV感染者に多い傾向があり[7]、CD4低値(例:<350/μL)や血清RPR高力価(≧1:128)といった背景を持つHIV患者では神経梅毒合併リスクが高まることが指摘されています[6]。
一方でHIV陰性者においても神経梅毒の発生が皆無ではなく、梅毒流行の拡大に伴い非HIV・非MSMの集団にもNOO(neurosyphilis, ocular, otic)梅毒症例が増加したとの報告もあります[8][9]。このように、梅毒流行の再燃とHIV感染との相乗効果により、今後神経梅毒の症例が増加する可能性が懸念されています。公衆衛生上、梅毒患者ではHIV検査を行い[10]、逆にHIV患者には定期的な梅毒スクリーニングを推奨するなど両感染症を一体として管理する戦略が重要です。
病型分類
神経梅毒とは梅毒トレポネーマによる中枢神経系感染を指し、病期に関わらず発生し得ます[5]。臨床病型は病態・症状により以下のように分類されます[11]。神経梅毒は大きく早期神経梅毒(初感染から1〜2年以内)と晩期神経梅毒(感染から数年〜数十年経過後)に二分され、前者には無症候性や髄膜炎・血管炎による病態が含まれ、後者には実質組織の破壊を伴う進行麻痺や脊髄癆が含まれます[5][12]。さらに眼梅毒・耳梅毒は中枢神経侵入の有無に関わらずどの病期でも起こりうる特殊型です[13]。
| 分類 | 主な病型・病態 | 発症時期・特徴 |
|---|---|---|
| 早期神経梅毒 | 無症候性神経梅毒(髄液所見異常のみ) 梅毒性髄膜炎(髄膜型) 髄膜血管型神経梅毒 |
初感染1〜2年以内に発症しうる。無症状例から髄膜炎症状、脳卒中様症状まで様々[5][11]。HIV共感染例で早期移行しやすい[12][17]。 |
| 晩期神経梅毒 | 進行麻痺(麻痺性認知症) 脊髄癆(後索障害) |
初感染から数年〜数十年後(平均10〜20年)に発症[6]。大脳・脊髄実質の不可逆的変性を伴い、認知症や感覚障害を呈する[20][22]。 |
| その他特殊型 | 眼梅毒(ぶどう膜炎、視力障害等) 耳梅毒(難聴、前庭症状等) |
病期を問わず出現し得る[13]。眼・内耳など局所症状が主体。中枢浸潤を伴う場合は神経梅毒として扱う。 |
臨床症状と身体所見
神経梅毒は"偉大な模倣者"と呼ばれるように多彩な症状を呈しうるため、臨床像は病型ごとに異なります。
無症候性神経梅毒
自覚症状はありませんが、腰椎穿刺による髄液検査で軽度のリンパ球増多や蛋白上昇など無菌性髄膜炎の所見がみられます[12]。多くは他目的でLPを行った際や、梅毒既感染者のルーチン髄液検査で発見されます。
梅毒性髄膜炎
頭痛、発熱、項部硬直などの髄膜刺激症状が主となります[15]。嘔気や光過敏を伴うこともあります。髄膜炎像に加え、顔面神経麻痺をはじめとする脳神経麻痺がしばしばみられる点が特徴です[16]。視神経炎による視力低下や難聴・耳鳴(第VIII脳神経)を呈する例もあります。
髄膜血管型神経梅毒
症状は多段階で出現します。初期には髄膜炎に類似した頭痛、めまい、倦怠感、不眠など非特異的症状や精神症状(性格変化、判断力低下など)を呈し[18]、次第に局所神経症状(片麻痺、しびれ、構音障害、視野欠損等)が進行します。最終的に病変血管の閉塞により脳卒中(脳梗塞)を発症し、急性の片麻痺や失語などで発症することもあります[17]。脊髄血管炎では進行性の対麻痺(歩行困難、下肢筋力低下)や急性の脊髄梗塞による突然の麻痺が起こりえます[19]。
進行麻痺
認知機能低下と精神症状が主体となる病態です。ゆっくりと進行する認知症像で、記銘力や計算・判断力の低下、人格変化(短気・攻撃的態度や被害妄想、誇大妄想)、抑うつや無関心などが徐々に悪化します[20]。進行すると被服や衛生への無頓着、社会的行動の乱れなど前頭葉機能障害の色彩が強まり、ついには高度な痴呆状態に陥ります[20]。神経学的には粗大な振戦(手や舌、全身の震え)や言語障害(構音障害)、軽度の不全片麻痺、痙攣発作などがみられることがあります[20]。瞳孔異常としてアーガイル・ロバートソン瞳孔(対光反射消失・輻輳反射保持)が有名です[29]。
脊髄癆
深部感覚障害と運動失調を特徴とする病態です。初期には間欠的な激痛発作(電撃痛)に襲われます[22]。これは下肢〜腰背部にかけて突然走る鋭い痛みで、数秒〜数分持続し間欠的に繰り返します。次第に後索の変性により振動覚・位置覚の消失と深部反射消失が生じ、足底の感覚異常と相まって重度の感覚性失調性歩行となります[22]。患者は開脚しながら足を強く打ち付けて歩く傾向があり、ロンベルグ徴候陽性です[21]。さらに膀胱の知覚低下から尿貯留や尿失禁を生じ、反復する尿路感染症の原因となります[22]。男性では勃起不全もしばしば合併します[22]。身体所見では、痩せ衰えた外貌や憂鬱な表情が目立ち、アーガイル・ロバートソン瞳孔が高頻度にみられます[29][29]。視神経萎縮による視力障害を伴うこともあります。
眼梅毒
視覚障害を主症状とする場合、まずぶどう膜炎(虹彩炎や脈絡網膜炎)が疑われます[24]。眼痛、霧視(かすみ目)、飛蚊症、視力低下などが現れ、眼底検査で滲出性病変や血管周囲炎がみられることがあります。その他に網膜炎や視神経乳頭炎、角膜実質炎など多彩な眼症候が報告されています[24]。
耳梅毒
聴力障害と平衡障害が主症状です。梅毒性の内耳障害では蝸牛が侵されると感音難聴(進行性の難聴、耳鳴)、前庭が侵されると回転性めまいや眼振をきたします[26]。
診断基準・検査所見
神経梅毒の診断には、まず梅毒感染の確認と臨床症状の評価が出発点となります。疑わしい神経症状(例:不明原因の髄膜炎、若年発症の脳卒中、原因不明の認知症や脊髄症状、ぶどう膜炎・視神経炎、難聴など)がある場合、血清梅毒検査で梅毒感染の有無を調べます。
血清検査所見
血清検査には非トレポネーマ試験(RPR法やVDRL法)とトレポネーマ試験(TPHA、FTA-ABS、TPLAなど)があり、現在は高感度のトレポネーマ抗体検査でスクリーニングし、陽性なら定量的非トレポネーマ試験で活動性を評価する「リバースアルゴリズム」が主流です[36]。
梅毒感染があれば血清トレポネーマ抗体(TPHAやFTA-ABS)はほぼ常に陽性となります。一方、血清RPR(STS)は未治療の活動性梅毒では高力価となりますが、既治療患者や晩期になると陰転・低値となる場合もあります[38]。神経梅毒の疑いでは血清RPRが必ずしも陽性でないことに注意が必要です[39][40]。
髄液所見
神経梅毒が疑われる場合、確定診断には腰椎穿刺による脳脊髄液(CSF)検査が不可欠です[37]。
髄液VDRL試験またはRPR試験は、神経梅毒診断の特異度が極めて高い検査です。CSF-VDRL陽性なら他疾患による偽陽性の可能性は極めて低く、神経梅毒を確定できます[37]。ただし感度は早期神経梅毒で50〜70%、晩期ではさらに低下するため、陰性でも神経梅毒を否定できません[30]。補助的に髄液トレポネーマ抗体(FTA-ABS IgGやTPHA)の検出が行われ、高い感度を示します[41]。
HIV感染者ではHIV自体が軽度の髄液リンパ球増多や蛋白上昇を起こし得るため、解釈に難渋することがあります[37]。この場合、CSF所見と梅毒抗体の総合判断が必要です。例えば「神経症状あり+血清梅毒陽性+CSF細胞数増多・蛋白上昇」があればCSF-VDRL陰性でも臨床的神経梅毒と診断し治療を開始します[30]。
画像検査
神経梅毒の診断はあくまで血清・髄液検査によりますが、MRI画像は他疾患との鑑別や病態把握に有用です。髄膜血管型では脳MRIで虚血梗塞病変や血管壁の造影増強がみられることがあります。進行麻痺では全般的な大脳萎縮(特に前頭葉萎縮)が進行していることが多く、FLAIR像で高信号となることがあります[45]。一例報告では辺縁系脳炎様に両側内側側頭葉や皮質下白質に高信号病変を呈し、抗NMDA受容体抗体陰性のリムビック脳炎として扱われた例もあります[46][47]。
鑑別診断
神経梅毒は臨床像が多彩なため、鑑別診断には幅広い視点が求められます。
| 臨床症状 | 主な鑑別疾患 | 鑑別のポイント |
|---|---|---|
| 髄膜炎症状 | ウイルス性髄膜脳炎(単純ヘルペス脳炎、HIV脳症) 結核性髄膜炎 真菌性髄膜炎(クリプトコッカス症) 自己免疫性脳炎(抗NMDA受容体脳炎等) |
梅毒既往や血清反応の確認[46]。辺縁系脳炎様の経過をとる症例あり[47]。 |
| 脳血管障害 | 血管炎(ANCA関連血管炎、中枢神経血管炎) 抗リン脂質抗体症候群 もやもや病 心原性塞栓 |
中年以下の脳梗塞では梅毒血清反応を確認[30]。多発脳梗塞や全身発疹の既往。 |
| 認知症・精神症状 | 変性性認知症(アルツハイマー型、前頭側頭型) 血管性認知症 正常圧水頭症 甲状腺機能低下症 ビタミンB12欠乏症 |
全ての原因不明認知症で梅毒血清検査を考慮[50][52]。 |
| 脊髄障害 | 亜急性連合性脊髄変性症(VitB12欠乏) 脊髄圧迫性病変 多発性硬化症 |
電撃痛の有無、AR瞳孔、錐体路徴候の有無で鑑別[21]。 |
| 眼・耳症状 | サルコイドーシス 結核 Behçet病 CMV網膜炎 Cogan症候群 聴神経腫瘍 |
原因不明のぶどう膜炎・感音難聴では梅毒検査を実施[46]。 |
治療(第一選択薬・期間・フォローアップ)
神経梅毒の治療は他の梅毒病期とは異なり、中枢神経系に十分移行する薬剤・投与法が必要です。現在でもペニシリンGが第一選択であり、十分量を静脈内投与してトレポネーマを殺滅します[53]。
第一選択療法
代替レジメン
ペニシリンGプロカイン筋注とプロベネシド内服の併用療法が挙げられます[55]。具体的にはプロカインペニシリンG 240万単位IM 1日1回 + プロベネシド500mg経口 1日4回を10〜14日間持続します[55]。毎日の筋注が必要で患者負担が大きく、コンプライアンス確保が難しい点に留意します。
ペニシリンアレルギー患者
ペニシリンへの即時型アレルギーがある場合、第3世代セフェムのセフトリアキソンが有効との報告があります[56]。セフトリアキソン1〜2gを1日1回筋注または静注し、10〜14日間継続する方法です[57]。テトラサイクリン系やマクロライド系は神経梅毒治療としてのエビデンスが不十分で推奨されません[59]。
ベンザシンペニシリンの位置付け
筋注用持続性ペニシリン製剤であるベンザシンベンジルペニシリン(BZP)は梅毒標準治療薬ですが、日本では長らく未承認でした。しかし2021年9月に国内承認され早期梅毒・後期梅毒・先天梅毒に使用可能となっています[61]。
治療中の注意点:Jarisch-Herxheimer反応
治療開始後数時間〜24時間以内にJarisch-Herxheimer反応(JHR)が起こることがあります[63]。これは大量のトレポネーマの死滅に伴い放出されたサイトカイン等による一過性の全身反応で、発熱、悪寒戦慄、頭痛、筋肉痛のほか梅毒疹の増悪などを呈します[63]。特に神経梅毒患者ではこの反応で一時的に症状が悪化する可能性があり注意が必要です。対処は主に対症療法で、解熱鎮痛薬(NSAIDs)の投与や水分補給により数時間〜1日程度で軽快します[63]。
経過観察とフォローアップ
治療後は定期的な臨床症状の評価と血清検査モニタリングを行います[64]。非トレポネーマ抗体価(RPR値)は治療が奏功すれば4倍以上の低下を示すのが通常であり、6ヶ月〜12ヶ月での4倍低下を目安に治癒判定します[64]。日本では治療後、同じ検査法で4週間毎のRPR定量測定を行い、抗体価低下を追跡することが推奨されています[64]。
髄液検査の再検については、近年の研究では、免疫正常者やART下のHIV感染者では血清RPRの正常化が髄液所見正常化をよく予測することが示され[65]、血清反応と臨床症状が改善していればルーチンの再LPは不要との見解があります[65]。
予後と再発リスク
予後は病型や治療時期により大きく異なります。早期神経梅毒(髄膜炎型や髄膜血管型)であれば治療によって症状がほぼ完全に寛解することも多く、予後良好です[67]。一方、晩期神経梅毒(進行麻痺や脊髄癆)では既に中枢神経の器質的破壊が進んでいるため、治療後も後遺症が残存する場合があります[67]。
特に進行麻痺の患者でも治療により知的機能が改善した報告があり(治療前MMSE 20点→治療後29点に改善[49])、可逆性のある段階で対処することが重要です。一方、脊髄癆など組織不可逆の段階では症状固定・進行停止が目標となり、痛みや膀胱機能障害に対する対症療法が必要になることもあります[21]。
再発リスク
神経梅毒の再発には大きく2種類あります。
(1)治療不十分による再燃(Relapse):免疫低下や治療不足で中枢内に残存トレポネーマが再活動化するケースです。HIV感染者ではCD4低下や高ウイルス量の場合、標準治療後でも神経梅毒の治療失敗率が高いと報告されており[70]、特にCD4<200/μLの症例では神経梅毒再燃のリスクが指摘されています[70]。
(2)新たな梅毒再感染:梅毒は一度治癒しても免疫が不十分で再感染しうる病態です[71]。患者教育として、治癒後も新たな感染は予防できないことを説明し、安全な性交渉やパートナー検査の重要性を強調します。
最近の診療ガイドライン動向(国内外)
米国CDCのSTI治療ガイドライン2021
あらゆる病期の梅毒患者で神経症状や眼症状があれば腰椎穿刺を推奨し、神経梅毒・眼梅毒・耳梅毒いずれも治療は統一的にペニシリンG静注10〜14日間としています[54](HIV感染の有無による治療レジメンの違いはなし[72])。眼梅毒・耳梅毒は髄液検査が正常でも神経梅毒として治療することを推奨しています[33]。治療後のフォローについて、HIV陰性またはART下のHIV陽性患者では血清RPRの低下で治療奏効を判断できるため定期的LPは不要との記載があります[65]。
日本におけるガイドライン
日本では感染症科領域で「性感染症診断・治療ガイドライン2020」(日本性感染症学会)があり、梅毒全般について詳細な推奨が示されています[73][74]。神経梅毒が疑われる場合は速やかに専門医へコンサルトし、髄液検査の上ペニシリンG静注療法を行うよう推奨されています[74]。日本では2021年にベンザシンペニシリン筋注製剤が使用可能となりましたが適応は神経梅毒を含まないため注意喚起されています[61]。
また日本神経学会の認知症診療ガイドライン2017年版では、「進行性麻痺による認知症の特徴」についてClinical Questionが設けられ、梅毒性認知症はまれだが鑑別のため梅毒血清検査を考慮することが記載されています[52]。さらに2023年3月には厚労科研班による提言「梅毒診療の考え方」も公開され、梅毒患者の届出・治療について最新情報がまとめられています[76]。