脳神経内科医が答える からだの不思議 #17
認知症の親を病院に連れて行くには ― 受診を嫌がる場合の対処法
「最近、父の物忘れがひどくなってきた。一度もの忘れ外来に連れて行きたいのに、『自分はおかしくない』と頑なに拒否される」――外来に相談に来られるご家族から、こうした声を非常によく聞きます。
親を心配して受診を勧めても、本人が「病院は嫌だ」「私はボケていない」と言い張る。この状況は、ご家族にとって精神的に非常に辛く、何が正解かもわからなくなることがあります。
この記事では、なぜ本人が受診を拒否するのかという医学的な背景から、実際に外来でお伝えしている具体的な対処法まで、順序立てて解説します。
この記事でわかること

なぜ「病院に行きたくない」と言うのか ― 病識低下の医学的背景
受診を拒否されたとき、「頑固なだけ」「意地を張っている」と感じるかもしれません。しかし実際には、脳の変化による医学的な理由があることが多いのです。
病識低下(アノソグノシア)とは
アルツハイマー型認知症などでは、脳の萎縮が自分の状態を客観的に把握する能力そのものに影響することがあります。これを「病識低下(アノソグノシア)」と呼びます。つまり、「私はボケていない」という言葉は、強がりや否認ではなく、本当にそう感じているのです。[1]
病識低下はアルツハイマー型認知症の患者さんの40〜81%にみられるとされており、決して珍しくありません。病識がないために危険な運転を続けたり、服薬や経済管理に問題が生じたりすることもあります。[2]
スティグマ(社会的偏見)への恐れ
病識低下と並んで、もう一つ重要なのがスティグマの問題です。「認知症」という診断に対して、「一人では何もできなくなる」「施設に入れられる」「家族に迷惑をかける」といった恐れを持つ方は少なくありません。[3]
特に、長年「一家の柱」として生きてきた世代の方ほど、「ボケた」と認めることへの抵抗感が強い傾向があります。受診を拒む背景には、プライドや将来への不安が複雑に絡み合っているのです。
・「私はおかしくない、心配しすぎだ」(病識低下)
・「病院に行ったら何をされるかわからない」(医療不信・恐れ)
・「診断されたら終わりだ」(スティグマへの恐れ)
・「年をとれば誰でも忘れる」(正常化による否認)
・「忙しい、今度でいい」(先送り)
受診につなげる3つの実践的アプローチ
1. 「健康診断」や「脳ドック」という名目を使う
「もの忘れの検査をしよう」と正面から言うと抵抗を招きやすいです。代わりに、「最近、頭痛がする」「めまいが気になる」「脳の健康チェックをしてみよう」などの別の理由を入口にする方法があります。
実際の外来では、別の主訴で来院した患者さんに認知機能検査を行うことはよくあります。診察の流れの中で自然に検査を受けていただくことで、本人の抵抗感が少なくなるケースは多いです。[4]
「頭のMRIを一度撮っておいたほうがいいって先生が言っていたよ」
「血圧の薬をもらいに行くついでに、脳の検査もしてもらえないかな」
「お父さんのこと、先生にちょっと聞いてほしいことがあって」
→ 認知症の検査とは言わず、別の目的を前面に出すのがポイントです。
2. かかりつけ医に相談し、紹介状を書いてもらう
長年の付き合いがある「かかりつけ医」からの一言は、家族の言葉より本人に響くことがあります。まず家族だけでかかりつけ医に相談し、「先生から本人に受診を勧めてもらえますか」とお願いする方法は非常に有効です。[4]
内科の定期受診の際に、かかりつけ医から「最近少し検査してみましょうか」と声をかけてもらえると、本人の心理的ハードルが格段に下がります。
3. まず「家族だけ」で相談に行く
もの忘れ外来や地域包括支援センターでは、患者本人を連れてこなくても、家族だけで相談できます。「本人がどういう状態なのか、まず専門家に聞きたい」という目的で来談される方は実際に多くいらっしゃいます。
家族として「こうすれば連れてこられるかもしれない」というアドバイスを事前に得ることができます。また、かかりつけ医への紹介状のお願い方など、具体的な段取りも相談できます。
受診前に家族がすべき準備
いざ受診できることになったら、限られた外来時間を最大限に活かすために事前の準備が重要です。担当医は短い診察時間の中で多くの判断をしなければならないため、家族からの情報提供が診断の質を大きく左右します。[5]
- 健康保険証・診察券(他院のものも)
- 服用中の薬の一覧(お薬手帳)
- 症状が始まった時期と最初に気づいたきっかけ
- 具体的なエピソードのメモ(「3か月前から同じ話を1日3回する」など)
- 日常生活への支障の程度(料理・家計管理・外出・服薬など)
- BPSD(行動・心理症状)の記録:徘徊・易怒性・幻覚・睡眠障害など
- 生活歴(最終学歴・職歴・趣味)
- 既往歴(高血圧・糖尿病・脳卒中・うつ病など)
- 家族歴(認知症の親族はいるか)
- 直近の血液検査・画像検査の結果(あれば)
診察室では本人の前で「こんな失敗をした」と話しにくいことがあります。事前にメモを書いて受付に渡すか、診察前に「家族だけで少し話せますか」とスタッフに申し出るのが有効です。本人に内緒で情報を伝えることへの罪悪感を持つ方もいますが、正確な診断のために必要なこととして多くの医師は歓迎しています。
もの忘れ外来では何をするのか
「もの忘れ外来」というと、どんな検査をされるのか不安に感じる方も多いようです。一般的な流れをご紹介します。
| 内容 | 詳細 |
|---|---|
| 問診 | いつから・どんな症状か・日常生活への影響を確認。家族からの情報が重要 |
| 神経心理検査 | MMSE・MoCAなどの短時間の筆記・口頭テスト(30分程度)。「テストではない、健康チェックです」と伝えると本人が安心しやすい |
| 血液検査 | 甲状腺機能低下症・ビタミンB12欠乏など、治療可能な「認知症もどき」の除外 |
| 頭部MRI | 萎縮の部位・脳血管病変の確認。初診では予約が必要なことも多い |
| 結果と説明 | 検査結果をもとに診断・治療方針の説明。「今の段階ではっきりしたことは言えない」場合も多い |
「認知症かどうか」の診断は、1回の受診でついかないこともあります。半年後・1年後に再検査して変化をみるという経過観察になることも少なくありません。「白黒つかなかった」ことに落胆するご家族も多いのですが、ベースラインの記録が残ること自体が大切です。[5]
- 急に(数日〜数週間で)認知機能が落ちた
- 手足の麻痺・言語障害・激しい頭痛を伴う
- 高熱・意識の変容がある
- 強い幻視・幻聴・妄想で本人や家族が危険な状況
受診の前後に使える相談窓口
地域包括支援センター
各市区町村に設置されている地域包括支援センターは、認知症に関する相談を無料で受け付けています。医療機関への橋渡しや介護保険サービスの案内など、受診前の「どこに行けばいいかわからない」段階から頼れる窓口です。[6]
「まず誰かに話を聞いてほしい」という状況でも相談可能です。市区町村の窓口や、「地域包括支援センター + 市区町村名」で検索して見つけられます。
認知症疾患医療センター
都道府県が指定した認知症疾患医療センターは、より複雑なケースの専門的な診断・治療・支援を担う拠点です。行動・心理症状(BPSD)が強い場合や、かかりつけ医での診断が難しいケースで紹介を受けることがあります。[7]
認知症の人と家族の会
同じ状況にある家族同士が支え合う「公益社団法人 認知症の人と家族の会」も、情報収集や精神的なサポートとして有用です。受診の前後を問わず、「どう本人を連れていったか」という経験談を聞ける場でもあります。電話相談窓口(0120-294-456)もあります。[8]
まとめ ― 脳神経内科医からのアドバイス
- 受診拒否の背景には病識低下(アノソグノシア)という医学的な原因がある。「頑固なだけ」ではない
- 「認知症の検査」とは言わず、別の目的(健康診断・脳ドック・他の症状)を入口にするのが有効
- かかりつけ医への相談を経由すると、本人の心理的ハードルが下がりやすい
- まず家族だけで相談に行くことができる。地域包括支援センターやもの忘れ外来で受け付けている
- 受診時は症状のメモ・お薬手帳・生活歴を持参すると診断の精度が上がる
- 1回の受診で結論が出なくてもよい。ベースラインの記録を残すことが将来につながる
親を心配して受診を勧めるご家族の思いは、確かに届いています。ただ、それが報われるまでに時間がかかることも多く、家族自身が消耗してしまうことがあります。
「今日無理でも、また別の日に試してみよう」という長期戦の構えと、地域の支援窓口を早めに使うこと。そして、ご自身の心のケアも忘れないでいただければと思います。認知症の診断は「終わり」ではなく、サポートの始まりです。
参考文献